キューバの旅のお話、随分遅くなってしまいました。
帰国してから、少し無理をしたのと気温の変化で体調を崩し、今日まで手に付きませんでした。
待っててくださった方、ごめんなさい。

さて、何からお話しましょうか…


今回はまったく仕事抜き、と言う事で、重い譜面や衣装は要らず、まして出かける先は常夏の国と、軽い荷物で心も軽く出かけました。 しかし、相棒は、キューバのミュージシャンに差し入れするシンバル数枚を肩に担ぎ、出かけるときから何やら必死の形相。重いのであればキャリーに乗せましょうと言えども、楽器であるからして自分の身体で運びたい、と。解らなくも無いけど…・大変そう。 そして、このシンバルをハバナのミュージシャンに手渡すまでに、私達はこれぞ旅の醍醐味、と言う道草を食ったのでありました。 事細かにお話をしていくとそれこそキューバにたどり着くまで時間がかかりそうですから手短にいたします。私達、ロスアンジェルス経由メキシコシティ、そこで一泊、翌朝メキシコシティからハバナへ飛ぶ予定でした。ところが、私達はこの飛行機に乗り遅れてしまったのです。時差ぼけと疲れによって,現地時間に時計をあわせたつもりが1時間遅れていたのが原因でした。なんと頓馬な私達!お笑いください!されど、もし空港内にもっと時計があれば…、搭乗ゲートが急に変更になんぞならなければ、のんびり本など読んでいなければ、アナウンスを聞き逃しはしなかった…と後悔しても後の祭り。

次の便でまあ今日中にはハバナに着けるだろうと、切符予約カウンターに並びました。しかし日に何便かあることを気楽に考えていた私達は、とんでもない現実に、ぎょっ〜とさせられることになるのです。其の日は2月2日金曜日、空席無し、土曜日も空席無し、日曜日も全く無し。5日の月曜日にやっと確保できると言うのです。私達はこの現実を受け入れるしかありませんでした。ため息を吐きつつ、気持ちを切り替えてこのメキシコを観光しようと決めました。空港内のインフォメイションで調べたところ、荷物は先に着きハバナ空港で保管しているとのこと。わずかな手荷物とシンバルを背負った私達は取りあえずロッカーにシンバルを預け、本当に着の身着のままとなったのです。ホテル案内所で予約を決め、さてどんな所かとタクシーで市内へと突っ走ったのでした。

この時、手荷物の中に入っていたスペイン語入門の本が、これからどれほど役に立ってくれるか、まだ其のありがたさに気付いてはいませんでした。

ホテルはこじんまりとした古い建物、一応4星。フロントには英語の分かるお兄ちゃんとスペイン語だけのおじいちゃん。このフロントでメキシコのライブ情報を仕入れたり観光スポットを聞いたりと、突然降って沸いたこのチャンスを無駄にすまいと懸命でした。色々回った観光名所で一番印象に残ったのは、メキシコ最大の都市遺跡といわれるテオティワカン。広大な敷地に、月のピラミッドと太陽のピラミッドのほか沢山のピラミッドを持つこの遺跡は、訪れるものに身体は鍛えていなくてはならないことを無言のうちに教えてくれるものでした。今写真を眺めていると、よくこんな所まで行ったなあ、の感慨しきりです。

メキシコシティはとてつもなく大きな都市です。空からの夜景は今まで私が見てきた中でも、ダントツに一番です。人に関して、タクシーの運転手さんは日本と同じ、親切な人もそうでない人もいましたが、街を歩いていて道を尋ねたりすると、みな外国人の私達にとても親切に接してくれました。若者達が年配の人達に席を譲るのもごく自然で、その胸に必ずロザリオが光っていたのも印象的でした。

市内の名所でもあるソカロと呼ばれる中央広場へ行った時には、そこでなんとブエナ・ヴィスタ・ソシアル・クラブのメンバーの一人であるコンパイ・セグンドさんグループの野外ステージでのライブを楽しむことが出来たのです。93歳の超高齢にもかかわらず2時間近くのショウを立ったままで、音響も決してよいとは言えない環境で、これも立ったままの観客を魅了しつづけたのでした。このエネルギーは何処から来るのでしょうか。

コンパイさんとは翌日ハバナへの飛行機で又お目にかかることが出来、サインも頂いてしまいました。
旅とは、少し横道にそれたりしたほうが本道だったりして…。

さて、コンパイさんご一行と共に私達もやっとハバナに到着。キューバの入国手続きは日本人にはあっけないほど簡単。先に着いて保管されていた鞄と対面。

やっとここで、にこにこと出迎えてくださった河野治彦さんと其のアシスタント、ロヘルト・カターさんに逢えたのです。シンバルは、この河野さんの依頼でした。キューバに詳しい仲間から、この人と連絡を取るべしと教えられてからずっとE-mailでやり取りをして来ていたのです。この地の音楽家達が、楽器や、機材、部品、CD、教材不足に悩んでいることを河野さんは切実に訴えてきました。というのは彼もハバナで活躍するバンドのパーカッショニストでありドラマーでもあったからなのです。シンバルのほかにもコマゴマとしたものを持参しましたが、砂漠に一滴の水でしかありません。そこで皆さんにお願いがあります。もし、何か協力していただけるのでしたらご連絡をいただけませんか?少しずつでも、大勢の人に関わっていただければと思うのです。集まった物は東京の河野さんの母上のところに送ります。年に3〜4回、河野さんは通訳の仕事で帰国する機会があります。その際に出来るだけキューバにもって帰る。いまのところは船便で送ることはリスクが大きいので考えられないそうです。其の先の分配に関しては、河野さんの人柄を信頼してお任せするしかないと思います。

さて、話が旅からそれましたが今回私が知って欲しかったことは、この事です。豊かに音楽が流れて、純粋なエネルギーに満ちた島キューバに楽器や機材を! これは私達にとって一時の話ではなく、連綿と続けて行かなくてはならない作業になります。

ああ、今日はもうハバナのお話には届きそうにありませんね。次回にさせていただこうかと思います。ここまで読んでくださった方、なあんだとがっかりさせてしまったかもしれませんが、ごめんなさい!近いうちにきっとお伝えします。

ブエナ・ヴィスタ・ソシアル・クラブのあの豊かな響きに本当に出会えたことを…・・。

 2001年2月27日




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