今年は桜の開花が早い様です。桜が散ってしまわない内に、旅行記を書き終えたいと、花粉症で痒い目と耳を掻きつつ、鼻をかみつつ、キーを叩いています。

さてさて、キューバは遠かった、の続編です。

予定通りに行けば2月2日にはハバナに着いていたはずなのですが、ちょっとした、しかし大きなミスで5日になってしまいました。メキシコ・シティーで3日間の観光を、やっとしハバナ行きの飛行機に乗ったときはこれでホントウに行けるのだと興奮したり、なんであんな馬鹿げた失敗をしちゃったんだろうかと自分の愚かさ加減に落ち込んでみたりして、普段は食いしん坊の私が機内食のサンドイッチに手が伸びませんでした。


3時間余の飛行でハバナ着。メキシコ・シティは朝夕が寒かったので、この地の気温はいかにも南の島、うーんこれだこれだ、これですよと、とたんに元気になれたのです。空港ロビーへ。ニコニコと目を細めた、いかにも穏やかな人柄がにじみでている河野さんの出迎えを受ける。初対面だけど、なんだかなつかしい。彼は私達が遅れてしまった日にもこうして待っていてくれた訳で、申し訳ない思いしきり。もう一人、出迎えてくれた人がいました。先祖はセネガル辺りの人ではないかと言われる立派な体格、まなざしは鋭いが静かに話す人。この人は河野さんの助手的な人で元軍人さん。(キューバには今でも徴兵制度があります)軍隊生活では、死んでいても不思議ではない最前線に送られたことも有ったそうですが、その殆どを高級官僚の運転手としてはたらいていたそうですから、運転の腕は超一流。彼の名はロヘルト・カター。カターのタにアクセントを置き発音します。河野さんとカターの案内で、いよいよハバナの市街に向けて出発進行。車の中では夢中で音楽情報の交換をしていたので空港周辺の景色が記憶に無いのですが、海沿いの道に出ると、映画で見たことのある町並みが現れ、しかも車が波を被るシーンが目の前で再現され、ああついに来た…と実感したのでした。

ホテルは海岸通りから右に折れて革命博物館を左に見て少し行ったところ。旧市街と呼ばれる町の中心的な位置に有り、車やバイクが走りまわり人の往来も激しく大変な賑わいを見せる便利なところです。ホテルは中に入ればアメリカの観光地によくあるスタイルで、もっとハバナらしいところにすれば良かったかなとも思ったのでした。が、5階の部屋は快適、窓を開けると下に公園が見え、向かいは崩れ落ちそうな4階建ての、アパートなのか、色とりどりの洗濯物が干された屋上に黒いラブラドール(?)のような犬が3匹遊んでいるのが見える。ハバナでは色々な犬に出会いました。私達が見たなかでは、リードで繋がれた犬は1匹も居らず、みな自由に歩いています。彼らは野良犬ではなく誰かが飼っているらしいのです。人におびえる事もなく、それはこの国の犬がいじめられることが非常に少ないからだと説明を受けましたが、たいていは2匹で遊んでいて、健康に引き締まった体つきで明るい顔をしていました。人間が過剰に可愛がる事もなく、その余裕が無いといえばそうかもしれないのだけれど、それが犬にとってはもっけの幸いかもしれません。子供たちにしても同じで、やれ塾だレッスンだと決められたスケジュールに追い回される事無く、のびのびしているように見えました。これは観光客としての気楽な視点からの観察に過ぎませんが…。

荷物だけが先にキューバに着いていたお陰で、4日間着たきりすずめだった私達は、久しぶりに贅沢にお湯の出るシャワーを存分に浴び、着替え、街に繰り出しました。観光ガイドによるとこの辺りの建物は19世紀後半の黄金時代に財力をつぎ込んで建てられた物が多い、とのこと。たしかに出来た当時はさぞかしと思われるが、手入れも修理もままならない今は、はてここは人が住めるのか、というような具合。狭い坂道を登っていくと裸電球が輝き、人が集まっている小さい店がある。バーであった。前を通りかかると中の人達が外国人である私達を一斉に見る。が、きつい眼差しではない。向かいにアイスクリーム屋。店内は殺風景なほど家具や品物が無くホントにあっさりした店構え。1つ買ってみる。日本円で、10円くらいになるのだろうか。甘さが凄い。このごろの日本の甘さ控えめ、に慣れている舌にとって、甘いとはこれくらいのことを言うのよね、と教えられたようでした。

街燈がぽつんぽつんと灯る暗い小路をぶらぶら歩いていると音楽が聞こえてきた。そこだけが随分明るい。誘われて近寄ってみると、入り口で人だかり。ちょっとお行儀が悪いかな、と思ったが塀のほころびから覗いてみる。女性ばかりのバンドらしい。黒の紗に色とりどりのスパンコールがついた衣装の背中がすぐそこに、手が届きそうな所に見える。このまま塀の外で聴いていても、中で聴くのとさして変わらないだろうと思ったが、ただギキは善くないと思い直し、入場料の1米ルを払って門をくぐる。古いアパートの前庭に設えられた、言わば大学の文化祭の模擬店風な造りの店構え。テーブルも丸いの、四角いの、細長いのと色々。キーボード、ベース、アルト・サックス、テナー・サックス、ドラムス、パーカッション、の6人編成。そして全員が激しいステップで踊りながら演奏し歌っている。肌も髪もいろいろの若い女性たちが、小さなステージからはみ出さんばかりの力いっぱいの演奏である。プロモーション用なのだろうか、小さなヴィデオカメラが2台この様子を撮影している。ハバナに着いて初めて聴く生の音楽、だがまだ結成されてあまり時間が経っていないバンドようだ。レパートリーに私が知った曲はない。激しいリズムのものが多いが、ゆったりしたテンポのセクシーな感じの曲まで、ほとんど休み無くお話も無く音楽が繋がれていく。日本なら住宅街の庭先で、しかもこんな音量で演奏なんかした日には大騒ぎになるだろうに、ここはいったいその辺はどうなんだろうと疑問が湧く。まだほんの宵の口、踊る人もほとんど無い。客は殆どが観光客。ちょっと覗いていっぱい飲んで他へ移っていく。客達は何やらグラスの中にハーブがはいったものを飲んでいる。これが"モヒート"と呼ばれるカクテルらしい。ラム酒をベースに白糖、レモン果汁を加えてソーダーで割り、ミントを茎ごと沢山入れて出来上がり。グラスの中は小さな水族館のようにも見える。飲んでみると甘酸っぱくてなかなかに美味しい。ラムの量で限りなくジュースに近いものから、私なんかいちころで酔いつぶれてしまう位のストロングな物まで作れてしまうようだ。飲み物の値段は連れが払ったので、把握していないが、大した金額ではない事は確かで、このバンドの今夜のギャラは幾らになるのだろうと、心配になる。

シーフードのレストランへ連れていってもらう。グリルした海老を食べてみる。目の前が海である。新鮮な事は確かだが、身が固い。徹底的にウエルダンに焼かないと気が済まないらしく、何でもがよく火が通り、噛み応えがあった。これは何処へ行っても大体同じで、お腹を壊す心配は皆無でありました。美味しかったのは黒豆ごはん。キューバ産のビール、コロナも結構美味しい。この先150kmのところにアメリカがあると言う、波が高い海を見ながら、小豆島の静かな海を思い出す。毎日色々な表情を見せる海を見て、私はこの島をいつか出て行く、あの海を渡っていくと夢を見ていたのです。島には私の夢を実現できるところはありませんでしたから。キューバの人達もアメリカに夢をかけて、それこそ命懸けで島を出て行く。自由に行き来が出来るように、早くなって欲しいものです。

夜、河野さんが所属するバンドのライブに誘われて出かける。11時からのスタート。カターの運転する河野さんの車で丘越えの道を行く。通りに沿って現れる家々がとても美しい地区があるかと思えば、泥棒も何か置いていきそうな地区もあり、ドル収入がある人達とそうでない人達の生活格差を見る思い。お店は黒を基調にしたしゃれた造りで、若い従業員たちが溌剌と働いているのが気持ち良い。音楽が大好きで、ここで働ける事を誇りに思っている様子。お客さんもドンドン入ってくる。観光客もいるが御馴染みさんや、バンド仲間も来ているようだ。モヒートを注文する。ここのも甘すぎず美味しい。河野さんの所属するバンドは、"イラケレ"のメンバーであったパーカッショニストがリーダー。キーボード、エレキベース、ドラム、ギター、
アルトサックス、テナーサックス、トランペット、パーカッション3人の大所帯。なかでも17歳のパーカッションが凄いんだと、河野さん。


先ず3人のパーカッションからリズムが叩き出され、バンドリーダーの歌が重なって行く。オリジナルのようだ。宵の口に見て聴いた女性バンドのように激しい踊りや派手な衣装はないが、リズムがパァンっと立ち上がってきて気持ち良い。歌はどんな事を歌っているのか、立派な体格の腹の底からの声は、日本人なら枯れかかる年代をものともせず、ビンビンと店内の空気を揺るがし、詩の意味は分からずとも、その声は楽器のアドリブのように心身に響く。ブラジルのささやく唱方の対局にあるような気がする。1時間半のたっぷりのステージ。客は踊ったり、飲んだり食べたりとずうっと動きがあり、しかも音楽への反応も熱い。静かに聴いていても何か活発な"気"の流れを感じる。休憩に入り、河野さんに色んな人に紹介していただいた中でもっとも印象に残るのが、18歳のドラマー、ウイリアム・リチャード君。まっすぐにこちらの目を見て微笑む明るい大きな目。この人は何か持っている、と特別な物を感じさせてくれた。翌日、別の店で彼のティンパレスを聴く機会を得たが、他のミュージシャン達が子供に見えてしまうほど彼のプレイは抜きんでてスピードがあり、リズムセンスが晴らしかった。私達がハバナを離れる日の夜にドラム演奏の仕事があるとの事。残念であった。

さて、その朝の事、昨夜は遅かったにはずの河野さんが、これからリハーサルをしているバンドを見学に行きましょうと、カターとともにホテルに来て下さる。ホテルからさほど遠くない公会堂のようなところ。アンボス・ムンドスと言う、ヘミング・ウエイの常宿として有名なホテルの側でした。私達から見てもかなりのベテランのミュウジシャン達が、朝10時と言うのにもう元気一杯、日本から来た私達への心遣いもあったのでしょうが、実に心に染みる演奏を聴かせて下さったのです。私達がやるいわゆるリハーサルとは違い、自分達が楽しむため、皆で集い、楽器を鳴らし、歌う。次の仕事のためと言うより、もっと大きなタームで捉えられている練習の場であり制作の場であるように思えました。


その日は午後にも違った場所でのリハーサルを聴かせていただきました。そちらは今は誰も住んでいないビルのロビーにてで、路を通る人達の人垣が出来ています。その中の小柄であまり元気そうでないと見えたおばあちゃんがリハーサルの音に合わせて、踊り出したのです。その粋なこと!若いママが押す乳母車の中のあかちゃんも今にも踊り出しそうに見えます。その建物の向かいに広場があり、近くの学校から子供達が体操に来ています。先生の号令にあわせて、日本のラジオ体操のようなものをやっています。その動きもすでにダンスになっている子がいるのです。

又長くなってしまいました。一旦切ります。続きは近い内に…ほんと!?

 2001年5月7日




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