7月になり、暑さもいよいよ本番です。このカラ梅雨の暑さに、もうはるか遠くなったキューバの想い出を掻き立てて、このシリーズを終えたいとねじりはちまきで始めることにしました。しかし、言いたかないけど、アツイ!ですね。
2月のハバナはこんなに底意地の悪い暑さではなかったぞ。だが、しかし今は、さぞかし…。

さて、私達は河野さんの案内、カターの運転であちこちに出かけることが出来た訳ですが、その中でも特筆すべきは、ブエナビスタ・ソシアルクラブのティンパレス奏者、アマディート・バルデスさんのお宅を訪問し、親しくお話をさせていただき写真まで撮らせてもらったことです。アマディートさんは昨年のディープルンバの公演に参加し来日もしておられますが、あの映画の世界的なヒットで大変な忙しさにもかかわらず、やわらかい笑顔で私達を迎えて下さったのでした。急なことで何にも用意できなかったので、一度は河野さんに差し上げた私のCD"KIMIKO"を、厚かましくも返していただき、お土産と致しました。連れの夫がドラマーと知って、アマディート・モデルのスティックにサインをして下さったのが、私達の宝物になりました。
キューバには、あのブエナビスタ・ソシアルクラブでさえもが、あるみごとな一面を切り取ったほんの一部分と言われるほどの音楽があるのだそうです。
そして、日本人なら枯淡の境地と言われる年代になっても、体力バリバリの演奏を聴かせてくれるのです。われわれもそうありたい!

アンボス・ムンドスと言うホテルは、アーネスト・ヘミングウエイが常宿としていたことで有名な観光スポット。ロビーにはいるとグランドピアノが置かれている。夜にはピアニストがくるのかしら、どんな音がするのかなー、と思いつつロビーを横切りエレベーターに乗る。手動の古いタイプ。かなり時間を掛けて登って行く。ヘミングウエイの部屋は中からかぎが掛けられていてお金を払って入れてもらうシステム。こうでもしないと一瞥しただけで見廻せてしまう大きさの部屋だから、観光収入にはならないだろう。若い女性のガイドさんがいて、簡単な英語で説明をしてくれる。"タガタメニカネハナルウ"と、日本語が聞こえた。「誰がために鐘は鳴る 」は、この部屋で書かれた作品とか。
小机に置かれたサイン帳に私達も名前を残す。日本人の記帳も多い。
窓辺に立ち、景色を見る。振り返ると簡単な柵で囲われたベッドがある。大男のヘミングウエイには窮屈な寝床だったのではないかな。ベッドの上の天井を見る。バスルームは閉ざされて見ることは出来なかったが、ドアのノブに触れてみる。歴史の中の人でしかなかった世界的な小説家が、一人の人間として生活した空間に、今自分がいる時の不思議。
順番が逆になってしまいましたが、私達はハバナ郊外にある、ヘミングウエイ邸にも足を伸ばしました。ご存知のようにノーベル文学賞は彼に名声と富をもたらし、彼はこの地に家を買ったのです。広大な敷地は樹木が茂り、門から建物までは歩くとちょっとあります。建物自体はそんなに大きくなく、風通しのいい高台に位置し、窓も扉も大きくとられています。物見台に上がると遥かにハバナ湾が見下ろせました。家の中には入れてもらえないのですが、彼が暮らしていた当時の生活ぶりが、開かれた窓や、ドアから覗けるようになっています。蔵書はやはりかなりの量です。それに木彫りの人形やパイプ類、コマゴマした物は世界各地から訪れてきた人達からの贈り物だそうな。
ダイニングの壁には鹿の頭が飾られており、動物愛護協会から非難されそうなほどの数である。これはヘミングウエイ一人が狩猟したものではなく、知人友人から贈られた物だということだが、こんなに沢山の殺された動物の頭を見ながらの生活は私にはできそうもない。
ハバナ湾が見下ろせる側にあるバスルームには、重りを乗せて計るふる〜い体重計があり、その横の白い壁に何やらびっしり書いてあるように見えるのは、もしかしてヘミングウエイの体重か?もっと近づけたら確かめられるのだけれど。シャワーカーテンはもうすでにかなり古びているが、これはフロリダから持ってきた物だろうか。アメリカのスーパーマーケットで売っているような感じの物。
母屋のすぐ横に、猫用の家だった小屋と言うには大きい建物が有り、今はヘミングウエイと色々な人との写真が飾られている。「老人と海」の撮影現場でのセピア色の一枚に、大学入試の英語の試験にこの小説からの問題が有ったことを思い出した。
ここのベッドもそんなに大きくない。豪華でもない。彼は午前中、立ってタイプライターで小説を書き、午後には飲みに街に出かけたそうな。

フロリダとハバナを行き来し、釣りもしたであろう彼の船は、庭のプールの奥に、ディズニーランドの模型のように置かれている。「老人と海」の主人公のモデルでもあったと言うグレゴリオ・フェンテス船長は、この船をヘミングウエイの遺言でプレゼントされたが、老齢のためもう乗れないと、返してきたのだそうだ。質実剛健と言えば良いか、余計な物がなく美しい船であった。

ハバナの最後の夜、私達はキャバレー"トロピカーナ"でショウを楽しんだ。
30人ほどの編成のビッグバンド。パーカッションが数人。2000人収容の野外劇場は、観光客でほとんど満員。私達の席はステージのかぶりつき。あまりに近すぎて衣装のほころびなんかが見えたら嫌だな、と思っている内にジャーンと音楽が始まり、次から次へと美しい女性が男性が、なんともセクシーできらびやかな衣装で現れたのです。その数200人(?)。メインステージだけでなく上手下手両側にも高いステージがありそこにもずらりと並ぶのです。ふと後ろをふりむくと、客席の通路にもびっしりと、美しき妙齢の女性達が同じ衣装で並んでいます。ああ、もう男たちは桃源郷。女達は…・・?
ビッグバンドの音も演奏もアレンジも、素晴らしかった。衣装も照明も、そしてダンサー達も無論、素晴らしかった。2時間のショウが短いくらいに感じたのは、この国が持つ芸能と芸術の底力、それを愛して支える人の層の厚さなどがもたらすものなんですね。
一人75ドルの入場料はかなり高いと思いましたが、それ以上の価値があると言えます。

映画"ブエナビスタ・ソシアルクラブ"を見て、キューバにあこがれ、馬鹿な失敗をしたけれどメキシコを楽しみ、偶然にもコンパイ・セグンドさんのグループの演奏に出会え、同じ飛行機に乗り、ハバナにたどり着き、いくつかのバンドのリハーサルにお邪魔させてもらい、夜の演奏も楽しみ、夫はティンパレスのレッスンも受けることができました。滞在が短くなったため1回だけでしたが、次回はもう少しゆっくりと教えを請いたいと計画をしているようです。実現できるかどうかは未だ解りませんが、リズムの宝庫の国への再度の旅は、大きな楽しい目標になっています。
まだまだ、想い出は書き始めてみると沸いてきて尽きないのですが、この辺で完結編にいたしましょう。
この旅は、ハバナ在住の河野治彦さんと、運転をしてくれたカターなしには始まらなかったことを、ここに感謝を込めて記したいと思います。

本当に、有り難うございました。

最初に記しましたが、キューバは楽器が足りないのです。何でも結構です。未だ使える楽器、部品、の支援を考えて下さる方、ご連絡を下さい。
どうぞよろしくお願い致します。



2001年7月2日




バックナンバー

2001年5月18日

2001年5月7日

2001年2月27日


2001年1月25日


Home / Discography / Photo Gallary / Live Schedule / Link / What's new